

2021年4月、私は一般社団法人 塩川なまずの里の会の理事になりました。
思い返すと、2019年が1つのターニングポイントになって、ここ最近の私の状況につながっています。
そこで、忘れないうちに、この2年半の動きを書いておきたいと思います。
2021年4月現在の私の状況
私は現在、東京都に住んでいます。普段は、都内のコワーキングスペースで仕事をしています。
フリーランスでホームページを作っているWebデザイナーです。
大学卒業後に就職で上京し、それから今までずっと東京なので、ぼちぼち、東京が一番長く住んだ場所になります。
東京に住みながら、月に一回程度のペースで、出身地である福島県の会津地方に通い、活動しています。
福島県に通い始めたのは2016年頃です。その頃から、東京都内で行われる、移住関係のイベントにも参加するようになりました。
私は、福島県の会津地方の中にある、喜多方市塩川町の出身です。
「会津」という言葉には、2つの捉え方があって、会津若松市の人と多くの観光客にとっては、「会津 = 会津若松市」です。会津地方の郡部の人にとっては、「会津 = 会津地方」です。
会津出身というと、会津若松市出身だととられることもありますが、会津地方の塩川町出身です。
会津藩ということで言うと、塩川町は会津藩の川港として栄えた場所で、新撰組の齋藤一も塩川町に滞在していたことがあるそうです。
塩川なまずの里の会について
塩川なまずの里の会は、喜多方市塩川町で、鈴木さんという男性が始めた団体です。
いつ頃から塩川なまずの里の会という会名になったのか、はっきりとは覚えていないのですが、2019年以降だったと思います。
鈴木さんと出会ったきっかけは、私の同級生からの紹介です。
2018年の秋にたまたま、地元の同級生と再会して、その後すぐに、塩川で町おこしの活動をしている人がいると紹介されました。
鈴木さんは、地元の議員の方などと、いろいろと活動していたのですが、2019年始めに私がブログを作って、鈴木さんが作った塩川を舞台にした物語や、塩川のイベントの情報発信を始めました。
活動していくなかで、塩川町にある県立の専門学校の授業の一環として、塩川なまずの里の会とプロジェクトを進めるようになりました。
2019年度は絵本を作成し、2020年度は、地域の企業も多数参加して、塩川町の新名物「のれんちょ」というチョコレートの開発を行いました。
このチョコレートは地元の人にとても好評で、初回販売分は半日で売り切れになり、増産が決定しました。
そんなこんなで、いろいろなことがトントン拍子で進んで、2021年4月に法人化ということになりました。
私の塩川なまずの里の会での関わり方は、今のところ情報発信だけです。ただ、構想はいろいろとあって、鈴木さんとほかの理事の方々が中心となって進めることになると思います。
あいづっぺでぃあについて
2019年頃から始まったもう一つのプロジェクトが「あいづっぺでぃあ」です。
名前からもわかるかと思いますが、会津地方をテーマとしたWebメディアです。
よそ者若者が会津地方のお店を取材して、記事にして公開するプロジェクトです。
2019年度から県の補助金事業としてスタートしました。
このプロジェクトもご縁に恵まれて、東京の大学生がツアーを組んで、会津地方のお店に取材に行くということでスタートしました。
2020年は新型コロナウイルスの影響で、思うような活動が出来ませんでしたが、2019年に約50件の記事を公開したこともあり、アクセス数も上々で、特に地元の人に愛されるメディアとなっています。
この企画がスタートしたきっかけは、会津若松市の一人の女性です。
パワフルなその女性が、仕事の関係もあり、東京で福島県関連のイベントを開いていて、そこで知り合ったメンバーで、あいづっぺでぃあを始めることになりました。
私は2020年度はあいづっぺでぃあ編集長ということで、文章のチェックをするほか、運営全体に関わっています。
私の仕事の状況
塩川なまずの里の会とあいづっぺでぃあは、どちらも仕事ではなく活動です。
仕事はホームページ制作をしています。
最近は、会津地方の仕事も増えてきましたが、東京の仕事もいろいろとやらせていただいています。
以前は下請けをやったり、ワードプレス個人レッスンをやったりと、いろいろやっていましたが、今は、お客様と直接やりとりする仕事の仕方をしています。
なかなか制作実績を更新できないのですが、特にこの一年でいろいろと経験を積ませて頂き、ようやく自信がついてきたというところです。
士業、農家、カウンセラーなど、個人の集客に使う小規模なホームページ制作ならお任せください。
4月は10日ほど、福島県に滞在する予定で、その間にお客様とお会いしたり、様々な打ち合わせを行います。
だんだんと福島県にいることも増えてきていますが、福島県に完全に戻ることは今のところ考えていないので、東京と2拠点で、しばらくは続けていきたいと思っています。